火曜日 連休の休刊日

2時半になると、iPadで、ネット配信の朝刊を読む。
新聞は、地方晩まで丁寧に記事を探す。
と、言うより、1面の大きな記事は、題字だけで中身までは読まない。
それよりも、1番下の小さな記事が宝なのだ。
些細な記事に、未来を発見する。
予感する。
さて、紙の新聞の配達はどうなるのか。
明け方、自宅の前を走る、新聞配達の自転車の音は、しない。
新聞は、記事を作る記者だけではない。
毎日印刷して、それを、一軒一軒に配る、人的配達システムがすごい。
毎月、お休みの日も理解する。
今、新聞に、ニュースを期待しない。
むしろ、新刊の書評、エッセイ、評論などに期待している。
昔の、週刊誌、月刊誌の代わりだ。
全部の活字量は、新書版を超えるのではないか。
第二次世界大戦の頃は、米軍では、兵士の為に新聞のような古典を印刷していた。
安く、古典文庫を兵士に提供したいたのだ。
安い紙での新書版も、GIジョー、兵士の為に開発され、配布された。
日本占領中の米軍兵士が、それを沢山日本に残した。
泰成君は、それを、神田の古本屋の店頭で積んであるのを見た。
読めもしない英語の本を、買っていた。
それは、SFやハードボイルのアメリカ文化が詰まっていた。
それらを大事に残しておけば良かった。
早川新書も、創元文庫も。
少年漫画雑誌も。
価値あるものは、残る。
そうでない物は、捨てられてしまう。
でも、そこに、思い出が詰まり、時代が残されている。
新訳の新刊本が出れば、また、買って読むのだが。
あの時の、ワクワク感は甦ってこない。
本は、表紙の手触り感、大きさ、重さも記憶に残る。
ネットのデジタルでは、記憶に残らない。
だから、良いのかもしれないが。

血糖170 僕は散歩と雑学が好き 植草甚一著 10代の愛読書だった。湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by shimada