私の人生の壁
20代から始めた救急病院の仕事のせいで、当然、人の死を身近に考えるようになった。
銀座の小さな病院で、患者をその場で転送する事も多かったが、その後の送り先から、患者の生死を知らされるのは、異国の事のように思えた。
若かったのだろう。
当時は、映画や小説で多くの登場人物が死んでも、心が傷付く事はなかった。
若さとは残酷だ。
やがて、自分の友達も、身内も先に旅立った。
母が、歳をとると、映画も悲しい物語はいやだ。
楽しい物語しか観たくないと、常に言っていた。
最近、その、母の気持ちがわかるようになって来た。
戦争、アクション映画も、多くの人が殺され、生首が転がるような目を覆うようなシーンはトラウマが残るようになった。
見るのが耐えられなくなったのだ。
爽快感などあるはずがない。
落語や、吉本新喜劇が、何故、今でも人気なのかわかるようになって来た。
歳をとって、自分の寿命を意識するようになってからは、他人の死も、他人事ではなくなって来たのだ。
人間とは、勝手なものだ。
我が身の事になるまで、なんと無神経なのだろう。
人の死とは、何か。
生きる事の大変さと、生きる事の素晴らしさを、親がいなくなってから気がつくようになるのだ。
今日は、施設でクリスマスパーティーがある。
亡くなった方を、偲びつつも、今生きて、集いをもてる仲間の今年を祝いたい。
メリークリスマス。
亡くなった人にも、生き残っている人にも。
死に肩書きはいらない。
血糖170 死ぬ時は、血糖はいくつになるのだろう。 湖山泰成