中越地震20年

サンダーバードの設立を思い立ち、設立を呼びかけたのは、私である。
中越地震の後の、被災地の見学、勉強会の後の深夜の旅館の宴会であった。
現地の行政の組長は、リーダーシップがあり、避難所の開設に英断をふるった。
莫大な私有地に、多数の避難所を建てたのである。
そして、現地の社会福祉法人が、運営をした。
当時、そのような災害支援をする社会福祉法人はなかった。
医療施設に比べ、福祉法人や、社協や、自治体は、行政区に縛られて、遠方への支援活動は、鈍かった。
行政リーダーと、現地社会福祉法人との共同支援作戦は、見事だった。
その事に感銘を受けた私は、深夜、旅館の宴会場にで、特養の施設長に災害支援組織の設立を提案した。
介護施設による、全国ネットワークの設立である。
その施設長を代表にお願いした。
本来の設立提案者である私も、副代表になり、設立準備金200万円を寄付した。
その施設長が行政と設立を進めてくれたのだが、当初、法人名称は、災害福祉広域支援ネットワークと言うものだった。
これは、長すぎる。覚えられない。
私のセンスに合わない。
それで、私が、サンダーバードの名称を提案した。
ニックネームくらいのつもりだったが、その名称は、大変受けた。
今では、全国に知られている。
その初代代表は、多大な貢献をしたのだが、病気で亡くなり、今は私が代表を務めている。
中越地震、東日本大震災。
その経験値を全国の医療福祉施設に伝えていく使命を持って、サンダーバードを設立した。
その後、20年も経ったが、その目的が達成されたであろうか。
これまでの、サンダーバードの活動には、反省もある。
アメリカの民間版フューマとは言わないが、民間共助のネットワークとしては、まだまだ足りない。
首都圏大震災、南海トラフ。
その地域には、多数の湖山Gの医療福祉施設がある。
自ら生き残る為にも、共助の組織を拡大したい。
湖山Gも、その共助の理念の下にある。
今日は、大阪に行く。
新たな偶然の出会いが、経営の必然となる。
私の人生は、そう言う日々の連続だ。

能登地震298日 血糖130
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 
昨夜は、初めて、ウズベキスタンの映画を観た。
多数チケットを注文したので、関心のある希望者には、差し上げます。

銀座湖山日記

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