映画のカット数

頭の髪のカットではない。

NetflixやU-NEXTで、アメリカの刑事ドラマ、アクションドラマを観ている。

面白いし、画面に引き込まれる。

カメラワークが、匠で贅沢だ。

つまり、お金がかかっている。

カメラの台数が多いだけでなく、動作や会話のごとに、カメラの位置が変わる。

カメラの立ち位置が変わる、目線の高さが変わる。

日本のドラマでは、カメラが止まったままで、動きが少ない。

カメラマン、撮影部隊の数、予算の違いだろう。

更に、演出、演技、編集に手間がかかる。

これを、映画では、カット数が多いと言うらしい。

カット数の多いアクション映画ほど、迫力が出る。

スピード感がある。

最近、努力して、低予算で作られた素晴らしい映画も観たが、やはり、それは稀な作品だ。

映画は総合芸術、総合作業、そして巨大予算の賜物だ。

最近は、アニメ、CGの技術の進歩も素晴らしいが、撮影の基本技術が失われてしまうのではないかと心配になる。

映画も今迄の映画技術は、古典芸能になってしまうかもしれない。

感動するストーリーも、洗練されたテクニックによって生み出されて行く。

感動する人生に、テクニックはあるのだろうか。

最近の新書には、安っぽい人生テクニックが、箇条書きにされている。

こんな本より、歴史書を読んだ方が、よっぽど人生の蓄えになると思うのだが。

そういえば、最近じっくり本を読む日が減った。

目がしょぼついて来たが、朗読で本を聴くアプリがあったはずだ。

私は、じっくり時間をかけて熟読するより、斜め読みで一気に読了するばかりの人生だった。

早送りで、録画を観る習慣をやめるべきだと、最近、思う。

私は、こんなに落ち着きがなかっただろうか。

泰成君は、週末は、外に行かず、父の書斎で、内容のわからない難解な書物を読んだふりをして、自分で入れた紅茶を飲んでいた。

父のパイプを握って。

重い大きな本を、本立てを使って。

今の泰成翁は、現実社会に振り回され過ぎている。

現実の生きている人間は厄介だ。

本に閉じ込めららた偉人、英雄は、現実には何を考えていたのだろう。

結構、後ろ向きな、後悔ばかりしていたのでないだろうか。

後悔は、何かに取り組んで、望みが成就できなかった時に起きる。

相手の気持ちに気が付かなかった事を、後で知らされてわかる場合もある。

つまり、後悔は、年を取らないとわからない。

辛い事だ、若さ故の愚かさを理解できるようになる事は。

その味を噛み締める、1人の夜は辛い。

それで、苦味走った、男の顔になったなら、納得するのだが。

血糖169 夕食は苦み走った美味しいチョコレート

湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 

甘い童顔の渋い男を目指す  湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by shimada