候補者演説は漫才か
日本も、アメリカも、政治トップの選挙を同時期に迎え、マスコミは、賑わっている。
はずなのだが、私の気持ちは盛り上がらない。
どちらがなっても、両国はあまり変わらないのではないかと思っている。
大きく、国の航路が変わることもないだろうとの、安心感か、諦めか。
リーダーに若手新人を求めれば、実績がなく、信用できない。
年配であれば、今迄何をやってきたのだ、当事者だろうと文句を言いたくなる。
党派、派閥があろうが、なかろうが、顔ぶれは変わらない。
日本の総裁選も、広告代理店のような、選挙コンサルがついて演説や、マスコミ質問について、徹底的に指導して、練習する。
演技指導と同じだ。
チャーチルや、サッチャーや、ケネディを演じるなら、最後まで演じ切って欲しい。
アメリカ大統領選のテレビ対決も、まだ見ていない。
政治家の実力も、期待も、テレビでの印象で決まるのは、怖いと思う。
生の人間の印象、テレビでの印象、新聞記事での評価、観た人のアンケート調査。
美人投票と一緒で、他人が誰を支持するかの影響を受けて、人気のありそうな人に投票する人が多いだろう。
確して、民主主義は、機能しないものになって行く。
最近は、知事のリコール問題も出てきた。
これは、知事の不適性に関わらず、民主主義が機能しない例になるのだろうか。
推薦した党や、議員の責任はないのか。
議会は、これほど無力なのか。
それより、県民の無関心さは何故か。
マスコミが、報道しないだけなのか。
それでは、偏向報道ではないのか。
結局は、国民、市民の責任なのだ。
アメリカ大統領選のテレビ対談は、ディベイト能力を競い合わせるアメリカらしいゲームに見える。
そして、漫才のようにも思える。
真の政治家、リーダーはどこにいるのか。
リーダーを目指す過程で、真のリーダーは、党派の傀儡となってしまう。
私が求めているのは、談合や調整能力ではないのだろう。
革命家を求めているのか。
歴史的には、革命は、資本主義の終焉の過程で起きるはずだ。
これは、資本主義の終わりを予感させる。
AIは、未来をどのように予測しているのだろう。
知りたくない気もして来た。
能登地震256日 血糖153日
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
投票に年齢制限賛成 湖山 泰成