スタニスラフスキー・システム

普段は、来客や、会議で1日が過ぎる。
これは、銀座の本社という舞台で経営者を演じているのだと思う。
舞台を降りて、化粧を落とした夜はどうしているか。
夜は、メールの稟議書を返事する。
了解か不可と返事するだけだが、深夜、早朝は、それで潰れる。
毎日千本ノックを受けているような気がする。
それが習慣だし、やりがいも責任も感じている。
私にとっては、良い刺激で、PCゲームなどより、真剣で夢中になっている。
仕事だから、当たり前だが。
普段でも、時間があれば、映画やコンサートや舞台に行くが、若い時は、好きで評論を書いていた。
文芸論は、堅すぎて面白いと思ったことはない。
映画論や演劇論は好きで、本も大体読んでいる。
普段の日々は、街中を走っている気分だが、さすがに、連休中は、自宅に引きこもっているので、読書と黙考の日々となる。
連休の読書では、毎年、ユングと演劇か映画の本を読む。
毎年の連休の儀式に近い。
普段は蓋を閉めている、心の深層に潜るのだと思う。
フロイトより、ユングが自分の心に合うようだ。
スタニフスキー・システムという言葉を思い出した。
その役になりきると言う、演出、演劇論である。
こんな言葉を思い出すのは、学生演劇の時代に、良く聴いたからだ。
その主人公の気持ちになりきれ、と演出家が叫ぶ。
新人のヒロインは、やがて泣き出してしまう。
そんな、光景も思い出した。
私は?
私は、そんな才能も根性もない、可愛いだけの、新人俳優を慰めに小屋に通ったのだ。
そんな子に、演出家は、スタニスラフスキー・システムの信奉者なんだと囁いて教える。
スタニスラフスキー・システム。
彼女の為に、舌を噛まないように、何度も練習した。
はて、私は、今の経営者の役に、なりきれているだろうか。
歌舞伎やオペラのように、形から入る演技の馴染みやすさや、良さもわかるようになって来た。
心が疲弊した老人には、優しくて、ありがたいのだ。
この年になると、あれ程嫌っていた、落語や、吉本興業の舞台などが、羊羹や饅頭のように口に合うようになる。
心に楽なのだ。
心に寄り添うような歌謡曲、フォークソングも、心を震わすような演歌も、もう疲れる。
バー・カウンターで聞いた、ジャズやオールディーズが懐かしい。
ウイスキーがなくとも、心は慰められる。
今の私の心は、結局、あー、嫌だ、嫌だと言いつつも、楽な座布団に腰を下ろそうとする。
若い時の、反抗心は、孤高の魂は、どこに行ったのだ。
遠い、思い出の中など、あー、嫌だ、嫌だ。

能登地震 128日

血糖143 昨夜はお茶漬け、今朝はラーメン。

湖山G代表 サンダーバード代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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