つむじ曲がりな私
ひねた性格な人間をつむじ曲がりな奴と言った。
昔の事で、今は聞かない。
頭のつむじは、右巻きが多く、左回りの人の事を揶揄して言うらしい。
悪口の一種だから、今では聞かない。
私は、頭の後ろの方に、もう一つ、左巻きのつむじがあるらしく、髪の毛を短くすると後ろが立ってしまう。
子供の時は、気になったが、今は、年寄りの細い毛となり、立ってしまうような元気はない。
むしろ、薄くなってきたから、髪を長く、オールバックにしている。
床屋に行けず、長くなった時は、長く、長く伸ばして、由井正雪のようにしたいと思ったが、太った由井正雪では格好がつかないと思い、志は頓挫したままとなった。
メガネを外した朝の鏡で見る顔は、父そっくりである。
父が私に語りかけているような気がする。
この日記を書いている時は、父を思い出しながら書いているので、父が乗り移っているとも言える。
父は、経営の事は、全て私に任せて、何も言わなかった。
いつも言っていたのは、医療は医師個人のものだと。
チーム医療以前の赤髭のお医者様の時代の医者の思想だ。
名医と言われる人としか、話をしなかった。
信用しなかった。
医師には常に厳しかった。
今の働き方改革などは、無視しただろう。
その時代の、患者に尊敬される良医だったと思う。
労働者となった医師は、患者に尊敬されなくなる。
その時、医師はモチベーションを維持できるだろうか。
所詮は、報酬はこれ以上は上がらない。
官僚も、教師も研究者も労働者であると言われたら、やる気は失せるのではないだろうか。
聖職と言う言葉は無くなったのだろうか。
オヤジの名前は、聖道と書く。
マサミチと読む。
一高時代の同窓生は、皆、父の事をセイドウと呼んでいた。
私は、父の事を牧師か、医者になるしかなかった名前だよね、と、よく揶揄った。
郭悠小生は、泰成、ヤスナリである。
これは、事業がタイセイしないと格好がつかない名前だ。
隠居したら、コザンタイセイと俳号として、読ませたい。
日の出まえ 壁に染み入る 鍵の音
パルスオキシメーター 96・97・98
体温36.6 食後血糖260
名人 代表 湖山泰成