辛党から甘党へ
若い時は、本当に良く飲んだ。
銀座でも、赤坂でも、乃木坂でも、六本木でも。
毎日のように、ホテルでの朝食勉強会や、夜のレセプション、学会懇親会。
ホテルで行われる、学会も経営勉強会も、セミナーもシンポジウムも、最後は、ホテルのバーへ到達する。
それで、帰宅すれば良いのだが、週末の深夜は、新宿の作家や編集者のたまり場の飲み屋にも寄る。
アルコールの勢いは恐ろしい。
その頃は、甘いものは一切受け付けない。
ウイスキー、ブランディー、ジン、ウオッカといった蒸留酒ばかり。
ご飯、パン類の含水炭素もは、殆ど食べなかった。
でも、深酒をした後の、シメのラーメンはよく食べたと思う。
そのせいで、大分太った。
豚骨ラーメンが流行った頃だ。
その、若き頃の蛮勇と戦歴は、もはや過去の栄光。
今は、私の体の30%は、紅茶や健康茶の水分で作られている。
今の私の人生の最大の試練は、深夜のお菓子を制限する事だ。
深夜目覚めて、漢方茶で、和菓子を食べて、空腹を治める。
その和菓子の美味しい事。
悪魔のりんごを食べた、アダムとイブの気分だ。
今、私の目前に悪魔が、右手でウイスキーグラスを、左手で薄皮饅頭を差し出したら、迷う事なく、左手をとる。
人間は節操のないものだ。
特に、老人になると。
残された、深夜のひと時を、お菓子で和む。
若い者には、分からぬ、人生の深淵を知る。
そう思えば、父は、薄皮饅頭が大好きだった。
職員も、父には、饅頭のお土産を良く持ってきてくれた。
皮の薄い程、気に入っていたように思う。
つまり、1番好きなのは、餡子だったのだろう。
年をとると、煎餅よりも、喉を通りやすい餡子を好むようになる。
被災地への支援物資も、和菓子が1番喜ばれた。
チョコレートより、餡子の方が食べやすい。
こんな事を考えるのも、父の霊の導きか。
お父さん、ご心配なく、毎日、好みのお供物は欠かさず、してあります。
お下がりは、私が頂いておりますが。
パルスオキシメーター 97・97・99
体温36.3 血糖153
苦悩のアダム 代表 湖山 泰成