聖地巡礼の旅
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北の町に招かれて、病院や介護施設を作って来て、30年にはなる。
病院の設計の始まりは、ナイチンゲール病棟と言われる。
病院は、戦勝者の収容施設として、協会が始まりだったと、記憶している。
看護師の館、療養所である。
医師は、お金持ちの自宅に往診していたはずだ。
江戸時代の日本の療養所はお寺だった。
疫病患者の救済場所でもあった。
全国の湖山Gの病院施設は、災害時の避難場所でもあった。
私にとっては、聖地に等しい。
湖山Gの施設の北端は、小樽、札幌。
その地に、何年振りかの、仲間との再会の旅であった。
コロナは疫病である。
医療介護施設は、今の時代は、地域の教会や神社に近い。
災害の避難所は、元々お寺や神社の跡地だったりする。
命が守られる聖地でもあったのだ。
湖山Gの施設を巡る旅は、私の人生にとって、聖地巡礼の旅に等しい。
迎えてくれる、職員達は、優しく寛大だった。
そのおもてなしは、心からの慰めだった。
その地で、何十年も、命を守る仕事に人生を捧げてきた職員は、修道士、シスターのように敬虔である。
仰々しいと思うなかれ。
私にとっては、それくらい、思いのある訪問だった。
この仕事の重要さと、職員の健気さに、感謝慰労の気持ちを私自身の言葉で届けたい。
その思いが、今の私を動かし、旅に誘う。
全国の湖山の友よ。
待っていて欲しい。
パルスオキシメーター 98・99・99
体温36.7 血糖153
怒涛のイクラ 代表 湖山 泰成