シアター・キッズ

子供の時の映画館の印象は、ポップコーンとコーラを食べる所。
そして、涼しい場所。
昔は、暑い夏の日には、いかにも営業マンという感じのおじさんが、上着を脱いで座席で気持ち良さそうに居眠りをしていた。
会社の紙袋を抱いて。
しかも、社名が見えないように、裏表を逆にして。
当時は、営業のサラリーマンは会社のバッジをつけていたから、上着も、それが見えないように、折りたたんでいたのかもしれない。
次の営業訪問までの空白の時間は、喫茶店か、映画館で休んでいたのだろう。
私も、地方出張の際、飛行機や新幹線の時間調整に、映画館による習慣があった。
そのせいで、最初から最後迄観る事が叶わず、中途でも、出てしまうのが平気。
今でも、1時間でも、余裕があれば、新作映画を観に映画館に飛び込む。
私は、映画そのものだけではなく、映画館の雰囲気が好きなのだ。
映画館に通う、ニューシネマパラダイスの主人公の子供だね。
その、閉じられた暗闇の空間。
空調、音響の管理された空間。
売店があって、飲み物や軽食を1人静かに食する闇の空間。
そうだな、映画館の売店の女性を主人公にした映画の脚本があっても良いな。
映画館には、見ず知らずの他人に囲まれた、1人だけの空間、時間がある。
大衆の中の孤独。
子供は、親の目を避けて、押し入れに漫画雑誌を持ち込む。
それは、傷心の時に、1人洞窟に閉じこもるのと似ている。
考えてみると、こういう引きこもりは、気の弱い、男の子の習性だ。
私のように。
こう言う習性は、女の子にもあるのだろうか。
私は、いつも、映画の悪いところではなく、良いところを探す。
楽しい場面を探す。
そして、そこだけが記憶に残り、1人思い出す。
批評家のように観る事はない。
小学校の時に通った、映画友の会、淀川長治氏の教えだ。
観終わると、この映画は、誰に、どのような人に勧めようかと思案する。
病院会の院長か。
母子施設や、保育園の親子か。
職員家族か。
大学の授業に出席してきた学生か。
採用説明会に来た学生達か。
研修会や、会議に銀座に来たスタッフにか。
誰が観たら喜んでくれるのか。
お節介にも、そんな事を考える。
銀座の商店のウインドーを覗いても、これは、永年勤続表彰の記念品に使えるとか、新人研修の参加者のお土産にどうかとか、自然に考えている。
足長おじさんか、サンタクロースのお爺さんか。
今年の夏休みの子どもへの映画プレゼントは、アニメにする事にした。
それも、きっと喜んでくれるに違いない。
親子で観れるチケット、を初めて注文した。
母親と子供で観に行けるように。
お父さんの分は、自分で買ってください。
そういえば、映画のペアチケットと言うのを買ったことがない。
何故、ないのだろうか。
デート用に売れないだろうか。
所詮、映画は、孤独な人間の癒しなのだろう。
意外と、映画は論議の対象にならない。
論議をすると、批判の論戦になってしまうからだ。
映画批評雑誌を読まなくなったのも、そういう訳だったのかもしれない。
でも、時々は、映画を語れる友が恋しくなる。
最近の映画館の午前中のお客は老人ばかりだ。
昔、シネマ・デイサービスを考えた事があった。
東北の由緒ある映画館が閉館になる時、映画館主から相談を受けて見に行った。
古い建物で、階段、段差が多く、諦めてお断りをした。
今思ば、残念な事をした。
映画館も文化財だったのだが。
今は、私の少年期の思い出の中でしか存在しない。
親は、子供に相手にされなくなる前に、映画館に連れて行くべきだ。
家族で、一緒にポップコーンを食べた思い出を作って欲しい。
若者よ、デートは映画からだ。
少なくとも、おじさんの時代は、そうだった。
その時の少女は、今は孫を連れて映画に行っているに違いない。
映画館での、偶然の出会いがあったら、また、映画が作れるに違いない。
映画館での、偶然の再会。
ありそうで、ないか。
これも、映画館での、老人の妄想で終わる。
めでたし、めでたし、本日は終演相成りました。

パルスオキシメーター 98・98・98
体温36.5 血糖217
ポップコーンのせいではありません。
映画館の思い出に浸りすぎて食堂散歩をサボったせいです。

シアター・キッズ 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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