アフター湖山からネクスト湖山へ

来月で、私は、68歳になる。
そして、今年は、銀座で、父と救急病院を開設してから40周年になる。
その父聖道理事長は、今はもういない。
当然、小生も、やがてはいなくなる。
その日の為の、準備が、プラン・アフター湖山だ。
私の、身内の後継者はいない。
外国籍の役員も生まれる。
湖山Gでもなくなる。
組織も全く生まれ変わるだろう。
民から官を目指す。
40近い法人が、合併したり、地域連携法人になって、10位になる。
統括本部のビルも建て替える。
最低、5年はかかる。
過去の湖山Gの歴史は、貴重で大事だが、やがて過去の思い出となる。
湖山Gが誇るのは、ネクスト・ワン。
これからオープンする施設を見て欲しい。
今、計画中のプランには、未来への夢が込められている。
若い職員の未来だ。
私は、やがて、そこの利用者、入所者となる。
医療と介護と保育と生活の統合。
ヘルスケアデザイン・ネットワーク。
ネクスト湖山の設計に全力を尽くす。
具体的には、中堅幹部の育成となる。
美術館型医療介護施設だけではなく、結婚葬祭式場となる施設設計をしてみたい。
私の遺骨は、東京湾に流してもらう予定。
霊園はなくても、大丈夫そうだ。

パルスオキシメーター 98・97・98
体温36.2 血糖165

代表 ナウ 湖山 泰成

銀座湖山日記

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