群衆の中の孤独
10年前くらいからだろうか、作家がぼやく、本が売れなくなったと。
コロナあたりからは、劇場、映画館、そしてレストランがいつも空いている。
最近の映画館も、客の数を数えられる。
カップルは殆ど見ない。
孤独な老人客ばかりだ。
ホテルのスポーツクラブも、無口な老人ばかり。
若者のカップルはどこへ行ったのだろう。
コンサートホールか。
サッカー球場か。
電話や、メールでつながっているのか。
セミナーや、学会も、迫力がない。
人数だけではない、何となく、息が上がらない、迫力がない。
泰成君は、中学生の時、戦争反対デモに参加した。
学校近くの、清水谷公園から、夕方、提灯を持って。
平和な市民活動だった。
それでも、戦争反対を祈る若者の魂が寄り添うような気持ちがした。
暗い映画館も、同好の士が集まっていると言うファン同士の安心感があった。
今は、通りを歩いていても、何か寂しく、胸が、わくわくするような気分になれない。
人気のない、海浜浴場、コンサートホールとでも例えるべきか。
人との繋がりを、外にではなく、湖山の中に求めるようになった。
社会の知り合いが、友達が、歳と共にいなくなって来た。
子供や、孫を連れた人を見ると、羨ましくも、微笑ましく、義理も責任もない、風来坊の自分に身をかえりみる。
気楽とも、寂しいとも思わない。
これが、私の選んだ道だ。
人生だ。
そんな時だ、本屋に立ち寄るのは。
でも、今は、そんな都合の良い本は、本屋に見つからない。
図書館か、神田の古本屋にいくべきなのだろう。
古典や、子供の頃に読んだ名作が懐かしい。
読まずとも、その題名を思い出すだけでも、主人公の悩み、苦しみが共感できる。
子供の頃に読んだ本が、老人の魂として、心に残っているのだ。
そんな事に気づくのが、人生だ。
皆さん方には、まだ、早い。
血糖152 体重75.1 昨日、妹が、1週間分の根野菜スープを作りに来てくれたのだが、食堂のテーブルに、大型のカップ麺が1つ置いてあった。
これは、妹の情けか、温情か。
年越し蕎麦の悩みはなくなった。感謝。
今日は、自宅の掃除で、ゴミ出しの日。
箪笥の中には、何百本の古いネクタイが眠っている。
毎年、捨てようと思うのだが、捨てられず残してある。
更に、机の上には、来年の干支の馬の図柄のネクタイを並べてある。
今年の干支のネクタイを、12年後の為に取っておくかどうかは、悩むところだ。
血糖152 体重75.1 現代は、大衆の中の孤独の時代。
でも、この日記を読んでいる人がいる限り、私は孤独ではない。
おはようございます。
今日は、今年の最終日。
水曜日、大晦日。
私は孤独ではない。
U-NEXTやNetflixをみている。
情けない気もするが。
正月は、スクリーンの世界に眠る。
大衆の中の大衆 1万4千分の1 湖山 泰成
