熱海土砂流災害から3年

西日本豪雨から6年、熱海土砂流災害から3年。
その後、日本の対策は進んだろうか。
これらは、もう、地域災害ではない。
国難、国家の危機だと思う。
日本列島は、列島に住む人間に、怒りの咆哮をあげているのではないか。
熱海の土砂は、湖山Gの介護施設のすぐ隣で起きた。
施設自体は、被害を免れたが、市中央と繋ぐ道が完全に破壊され、電気水道下水も遮断された。
被災施設は、200床はあり、勤務職員まで入れれば300人がいた。
断水でも、水洗トイレは、温泉で流した。
停電で、エレベーターは動かない。
絶体絶命の災害だったが、食事に関しては、専門会社から8000食分の冷凍弁当の提供を受けて凌ぐ事が出来た。
施設は、道路復旧までの、期間をそのおかげで、生き延びた。
私は、朝のテレビニュースで集中豪雨を知り、その場で神奈川の湖山Gの施設に救援要請を出したが、その時、既に救援車両が出発していた。
第1隊は、11時30分には、現地熱海に到着していた。
さすがである。
その道筋は、ネットに挙げられ、その後のグループの支援隊の導きとなった。
湖山Gの各施設は、各施設独自に支援活動をし、現地情報を、ネット上の施設ホームページに掲載する。
それを見れば、支援状況を把握できる。
被災状況と支援状況を、ネット上の、施設ホームページを検索する事で情報共有する。
これが、ヘルスケアデザインネットワークとなる。
被災施設のホームページには、支援車両の到着毎に、支援物資の内容を、写真掲載する。
それによって、各支援隊が、次に何を届ける必要があるのか、判断する。
湖山G本部の指揮を必要とせず、施設毎に独自行動をとる。
広域災害時は、電話もメールも通じない。
特に、東京は。
そして、次の災害地は、銀座統括本部のある首都圏が想定されるからだ。
実際、東日本大震災の時は、3月13日に、3台のヘリコプターで、私自身が気仙沼に救援物資を搭載して飛んで行ったのは良いのだが、現地でガソリンを手に入れられず、帰還できなくなった。
それどころか、電話、メールも通ぜず、私は、グループ内で行方不明者になってしまった。
雪山の救援隊の2次遭難と同じである。
私の、愚かで浅はかな行動だった。
その後、通信網の復旧は、ネットが1番早かった。
それ以来、現地施設が、現況をホームページに掲載する事とした。
今なら、YouTubeに掲載する事が、全国に同時に知ってもらえると思う。
その後、政府も行政もマスコミも国民も災害の経験は幾度も繰り返しているのだが、その経験は生かされているのだろうか。
本日は、東京で、防災・減災セミナーを開催する。
夜には、講演内容は、YouTubeに掲載する予定だ。
熱海で冷凍食品を提供してくれた企業の発表もある。
私は、災害地でのドローンの活用として、災害地でのドローンの規制緩和を提唱する。
ドローンにサイレン赤色灯を搭載し、緊急ドローンの法制度を提案したい。
そして、都会地には防災交流公園を。
中山間地の神社には、食料備蓄システムを。
神も許して頂けると思う。

西日本豪雨から6年、公園に防災+交流機能:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO81829040T00C24A7LCC000/

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Posted by kobayashi