役者の演技論、監督の監督論

演劇や映画に関する書物を読むのが、好きである。
世の中に、あまり無い、と言うより、翻訳されていないからだろうと思う。
演劇の本は、面白い。
この手の本は、あまり、客観的ではなく、本人の主張が強すぎるところが、わかりすぎて面白い。
個性も強い。
役者の役者論が、面白い。
演劇論を書く役者は、比較的、謙虚。
自信満々の役者など、文章など書かないのだ。
自分を分析する事など、できないのだと思う。
天才的役者は、文章など書かない。
自己分析など、必要としない。
出来ないのが、天才。
監督、演出に小突き回されて、反省して努力して成長した役者の自叙伝や演技論は、面白い。
でも、監督の監督論は、ヒッチコックくらいで、他には、あまり記憶がない。
面白くないのだ。
だから、記憶に残らない。
最近は、制作風景もネットで宣伝用に放映される。
監督は、映像で全てを語れば良いわけで、文章で、説明する必要はないわけだ。
思い通りの撮影が出来なかった、監督の自己弁護にも、聞こえる。
名作の名シーンも、練られた脚本より、その場の監督の思いつきや、役者のアドリブが多いのも、理由があるのだろう。
予測されない感動。
人間は、何故か、予測外の事象に怯え、且つ、気持ちを揺さぶられる。
深く心に残る。
そして、感動になる。
感動は、考え方を変えろとの、深層心理の警報ではないかと思う。
だから、私は、日々の経営においても、感動するのだ。
経営者は、監督だと思われるかもしれないが、私自身は、監督を演じている役者ではないかと思っている。
少なくとも、自分については。
皆さん、どう思われるだろうか。

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血糖182 爆睡で夜食を食べずに済んだ。

巨匠 湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事 湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by kobayashi